日本のお金の歴史/第 5 回
明治のはじめ、同じ紙幣で買える米が半分に。紙幣の値打ちはなぜ減り、どう戻った?
明治の紙幣と米の値段から、紙幣の値打ちが戻るまでをたどる

一万円札は、何年持っていても一万円札です。では、同じ1万円で買える物も変わらないのでしょうか。明治のはじめ、物の値段が全体に上がり続け、紙幣で買える米が半分になった時期がありました。紙幣の側で、何が起きていたのでしょう。
一万円札は、財布の中に何年入れておいても、書かれた額は1万円のままです。額が変わらないのなら、去年1万円で買えた物は、今年も同じだけ買えるように思えます。
ところが、いろいろな物の値段が全体として上がり続けると、お札に書かれた額はそのままでも、同じ1万円で買える物は少しずつ減っていきます。これをインフレーション(インフレ)といいます。同じ金額で買える量が減ることは、お金の基本の第4回でも触れました。
明治時代のはじめ、日本でこのインフレが激しく起きました。どれほどの変化だったのか、米で見てみましょう。
インフレで、買える米は半分になった
1877年、明治政府と、政府に反対する鹿児島の旧武士たちとの間で、西南戦争が起きました。この戦争の前と後で、紙幣で払うときの米の値段を比べます。インフレは物価全体の動きですが、ここでは当時の資料が数字を示している米を例にとります。
資料にあるのは、米の値段が戦争の前と比べて「2倍」になったという倍率だけです。そこで、戦争の前の値段を100として並べます。
| 比べるもの | 西南戦争の前 | 戦争の後に値上がりした時期 |
|---|---|---|
| 米の値段(紙幣で払う) | 100 | 200 |
| 同じ額の紙幣で買える米の量 | 1 | 2分の1 |
紙幣に書かれた額はそのままで、その紙幣で買える米の量は半分になりました。 では、このインフレは、なぜ起きたのでしょう。
円にそろえたのだから、値打ちは決まっていたのでは?
この少し前に、江戸幕府に代わった明治政府は、お金の単位を変えていました。第4回で見たように、江戸時代には金貨を両、銀貨を匁、銭(ぜに)を文で数えていました。政府は1871年に新貨条例を定め、単位を円・銭(せん)・厘にそろえます。ここでの銭(せん)は、穴あきの銭(ぜに)とは別の、1円の100分の1を表す単位です。
どの値段も同じ単位で書いて、足したり比べたりできるようになりました。ただ、決めたのは単位です。1円で米がどれだけ買えるかまでは、単位を決めても決まりません。
交換の約束は、あった?
今のお札は、何とも交換してもらえません。しかし、明治のはじめの紙幣は違いました。政府は、いずれ紙幣を金貨や銀貨と交換できる仕組みにしようとしていました。
ところが、当時の日本は金や銀が足りず、政府が出した紙幣は、実際には金貨や銀貨と交換できませんでした。民間の銀行が出した紙幣(国立銀行紙幣。「国立」と付きますが、民間の銀行です)も、1876年に法律が変わり、交換してもらえなくなりました。
政府は西南戦争の費用を、この交換できない紙幣を増やしてまかないました。大量の紙幣が出回るようになり、同じ紙幣で買える米は減っていきます。米の値段が2倍になったのは、この時期です。
米が取れなかっただけでは?
米の値段だけを見ると、そう考えたくもなります。ところがこの時期には、市場で紙幣と銀貨を取引するときにも、同じ額の紙幣で手に入る銀貨が減っていました。比率が動いたのです。紙幣は、米に対しても銀貨に対しても安くなっていました。
のちに財政を担当した松方正義は、紙幣が安くなった原因を、交換できない紙幣を出しすぎたことにあると考えました。米の出来など、ほかの事情がどれだけ重なっていたかは、ここで読んだ資料からは分かりません。
紙幣が増えると、なぜ値打ちが下がりやすい?
紙幣は、それ自体を食べたり着たりできません。紙幣に値打ちがあるのは、米や布を売る人が、紙幣と引き替えに品物を渡してくれるからです。
表の2倍を、仮の例で考えます。ある村に米が100俵あり、紙幣が全部で400円分あったとしましょう。村の紙幣400円分で米100俵を買うなら、1俵は4円です。ここで米はそのままで、紙幣だけが800円分に増えたらどうなるでしょう。米を売る人は、前と同じ4円では売らなくなります。買う人の手元に紙幣が倍あるなら、8円でも買うからです。米は1俵も増えていないのに、1俵の値段は8円になります。
交換の約束があると、紙幣の増やし方に歯止めがかかります。これも仮の例で考えます。紙幣を出す側の金庫に金貨が100枚あり、紙幣1枚を金貨1枚と交換すると約束しているとします。紙幣が100枚なら、全員が交換に来ても金貨は足ります。ところが紙幣を300枚に増やすと、交換に来た人のうち200人には、渡す金貨がありません。約束を守れなくなるので、約束があるあいだは、金庫の金貨や銀貨に見合う枚数までしか紙幣を出しにくいのです。約束が無ければ、その歯止めがありません。
村の例は、米の量も人の数も変わらないとした仮の例です。実際には米の量も動くので、紙幣が増えれば必ず上がるとも、2倍になればきっちり2倍になるとも、決まってはいません。
日本銀行のお札が出て、元に戻った?
1881年に大蔵卿(今の財務大臣にあたる役職)になった松方は、政府の支出を切り詰め、増税や、政府が営んでいた事業の売却などを進めました。そうして手元に残したお金で、出回っていた紙幣を回収して減らし、金貨や銀貨を蓄えていきます。
日本銀行は、1882年に開業しました。けれども、最初の日本銀行のお札が出たのは、開業から2年半後の1885年です。紙幣の値打ちが回復するのを待ってから、銀貨と交換できるお札(兌換券(だかんけん)といいます)を出しました。お札を出したから回復したのではなく、回復してから出した、という順序です。
値上がりのニュースを見たら、何を確かめる?
明治の紙幣と米の話は、今の値上がりのニュースを読むときにも使えます。次の2つを確かめてみてください。
- 何の値段か。米のような1つの品物だけか、いろいろな物が一度に上がっているか。
- 何で払う値段か。明治の紙幣は、米に対しても銀貨に対しても安くなっていました。
今日の研究結果
明治政府は単位を円にそろえました。それでも、金貨や銀貨と交換できない紙幣を増やした時期に激しいインフレが起き、紙幣で払う米の値段は2倍に、同じ額の紙幣で買える米は半分になりました。紙幣に書かれた額は変わっていません。日本銀行のお札が、銀貨と交換できる形で出たのは、紙幣の値打ちが戻ってからでした。今のお札も、書かれた額が変わらないまま、買える量は変わりえます。今のお札に、交換の約束はありません。その代わりに何が置かれているのかは、第6回で確かめます。

