日本のお金の歴史/第 2 回
国が作った銭が、なぜ使われなくなった? 米や布で払うようになるまで
古い銭と新しい銭の換算ルールから、米や布で払うようになるまでをたどる

国が作ったお金なら、みんなが使い続ける。そう思いませんか。ところが古代の日本では、当時の国が銭を作り続けたあと、その銭が使われなくなった時期があります。なぜでしょう。代わりに人々は何で支払ったのでしょうか。
国が作ったお金でも、使われなくなることがある。古代の日本では、実際にそうした変化が起きました。
当時の日本は、中国(唐)の制度を取り入れて、国の仕組みを整えていました。歴史では、この頃の国を律令国家(りつりょうこっか)と呼びます。今の日本の政府とは違う、この頃の国が作っていたのは、銅などの金属でできた丸いお金です。真ん中に四角い穴があいたこのお金を、銭(ぜに)と呼びます。
国は銭を広めようとしました。ところが、だんだん銭を使う人は減っていきました。何が起きたのでしょうか。
古い銭100枚は、新しい銭で何枚分?
708年、国は和同開珎(わどうかいちん)を発行しました。なお、それ以前にも富本銭(ふほんせん)が作られています。
その後も国は、名前の違う銭を出していきます。その際にとった政策の一つが、新しい銭1枚を、古い銭10枚分として扱うことでした。
この決まりを、手元の銭で考えてみましょう。古い銭を100枚持っているとします。100枚という持ち分は計算のための仮の例ですが、新しい銭1枚=古い銭10枚という決まりは、当時の政策です。
| 同じ持ち分をどう数えるか | 枚数・換算した枚数 |
|---|---|
| 手元にある古い銭を数える | 古い銭100枚 |
| 国が決めた換算ルールで、新しい銭に数え直す | 新しい銭10枚分 |
古い銭100枚は、新しい銭では10枚分と定められました。 手元から90枚が消えたという話ではありません。国が決めた換算ルールで、古い銭を新しい銭に数え直したのです。
「それなら、買える量も10分の1になったの?」と思うかもしれません。でも、換算ルールだけでは、買える量が減ったかどうかは分かりません。
仮の例で考えてみましょう。米1袋が、古い銭100枚で買えたとします。当時の実際の米の値段ではなく、仕組みを見るための数字です。
| 古い銭で数える | 新しい銭で数える | |
|---|---|---|
| 手元のお金 | 100枚 | 10枚分 |
| 米1袋の値段 | 100枚 | 10枚 |
| 買える米 | 1袋 | 1袋 |
新しい銭10枚で同じ米1袋が買えたなら、銭の数え方は100枚から10枚分に変わっても、買える米の量は変わりません。逆に、新しい銭20枚でなければ米1袋を買えなくなったなら、買える米は半分に減っています。
100枚が10枚分になるという換算ルールだけでは、暮らしの上で得をしたのか損をしたのかまでは分かりません。実際に何がどれだけ買えたのかを知るには、米や布の値段も見る必要があります。
新しい銭は、小さく、質も落ちていった
換算ルールだけでなく、銭そのものも変わりました。材料の銅が不足し、銭は次第に小さく、軽くなっていきます。銅に代わって鉛を多く含むものも作られ、質が落ちていきました。
国は、新しい銭1枚を古い銭10枚分として扱うと決めました。ところが、その新しい銭は小さく、質も落ちていきました。貨幣博物館の図録には、こうした銭が人々に嫌われていったことが記されています。
ただし、当時の銭が、今の円のように日本中で一様に使われていたわけではありません。主に使われたのは都と、その周辺の地域です。地方では米や布も、すでに支払いに使われていました。国じゅうの人が一斉に銭をやめた、と考えると実態から離れてしまいます。
新しい銭の発行は、958年の乾元大宝(けんげんたいほ)を最後に途絶えます。この年を境に、すべての銭が一日で使えなくなったという意味ではありません。研究では、都で銭を使わせようとする動きが、その後も続いていたことが指摘されています。
国が決めたお金なら、使うしかないのでは?
国も、銭の使用をあきらめていたわけではありません。貨幣博物館の図録によると、987年には、人々に銭を使わせようとした記録があります。銭が広まるよう寺院に祈りを求めたことも記されています。
それでも銭を使う人は減り、11世紀から12世紀半ばには、米や絹、麻の布が銭に代わって使われました。これらは支払いに使われるだけでなく、物の値段を表すときにも使われました。
布は着るもの、米は食べるもの。そう考えると、お金とは別に見えますね。でも、布で値段を決め、布で支払っていたなら、その場では布がお金として使われていたことになります。金属の銭が使われなくなったからといって、「お金がなくなった」とは言えません。
米や布は、銭の代わりに突然使われ始めたわけではありません。もともと地域で使われていた米や布が、銭を使う人が減るにつれて、支払いに使われる場面を増やしていきました。
国は銭を作り、使わせようとしました。ですが、新しい銭は小さく、質も落ちていきました。しかも、人々には米や布という別の支払い方もありました。国が銭を作っただけでは、人々に使い続けてもらえなかったのです。
表の数字から、どこまで分かる?
最初の表に戻って、二つ確かめてみてください。
- 古い銭100枚は、新しい銭で何枚分と定められましたか。
- その換算ルールだけで、買える米の量も分かりますか。
一つ目は10枚分。二つ目は分かりません。銭をどう換算するかは表にありますが、最初の表には、米の値段が書かれていないからです。「100枚が10枚分になった」と聞いても、それだけで「買える物も10分の1になった」とは言えません。
今日の研究結果
古代の日本では、国が作った銭でも、使われ続けるとは限りませんでした。国は新しい銭1枚を古い銭10枚分として扱うと決めましたが、銭は小さく、質も落ちていきました。一方、人々には米や布という別の支払い方もありました。銭を使う人が減るにつれて、米や絹、布が支払いに使われ、値段を表すときにも使われました。国が銭を作っただけでは、人々に使い続けてもらえませんでした。

