財部(たからべ)教授のお金の研究室

日本のお金の歴史/第 2 回

国が作った銭が、なぜ使われなくなった? 米や布で払うようになるまで

古い銭と新しい銭の換算ルールから、米や布で払うようになるまでをたどる

2026年9月29日に公開約6分で読めます

国が作ったお金なら、みんなが使い続ける。そう思いませんか。ところが古代の日本では、当時の国が銭を作り続けたあと、その銭が使われなくなった時期があります。なぜでしょう。代わりに人々は何で支払ったのでしょうか。

国が作ったお金でも、使われなくなることがある。古代の日本では、実際にそうした変化が起きました。

当時の日本は、中国(唐)の制度を取り入れて、国の仕組みを整えていました。歴史では、この頃の国を律令国家(りつりょうこっか)と呼びます。今の日本の政府とは違う、この頃の国が作っていたのは、銅などの金属でできた丸いお金です。真ん中に四角い穴があいたこのお金を、銭(ぜに)と呼びます。

国は銭を広めようとしました。ところが、だんだん銭を使う人は減っていきました。何が起きたのでしょうか。

古い銭100枚は、新しい銭で何枚分?

708年、国は和同開珎(わどうかいちん)を発行しました。なお、それ以前にも富本銭(ふほんせん)が作られています。

その後も国は、名前の違う銭を出していきます。その際にとった政策の一つが、新しい銭1枚を、古い銭10枚分として扱うことでした。

この決まりを、手元の銭で考えてみましょう。古い銭を100枚持っているとします。100枚という持ち分は計算のための仮の例ですが、新しい銭1枚=古い銭10枚という決まりは、当時の政策です。

同じ持ち分をどう数えるか 枚数・換算した枚数
手元にある古い銭を数える 古い銭100枚
国が決めた換算ルールで、新しい銭に数え直す 新しい銭10枚分

古い銭100枚は、新しい銭では10枚分と定められました。 手元から90枚が消えたという話ではありません。国が決めた換算ルールで、古い銭を新しい銭に数え直したのです。

「それなら、買える量も10分の1になったの?」と思うかもしれません。でも、換算ルールだけでは、買える量が減ったかどうかは分かりません。

仮の例で考えてみましょう。米1袋が、古い銭100枚で買えたとします。当時の実際の米の値段ではなく、仕組みを見るための数字です。

古い銭で数える 新しい銭で数える
手元のお金 100枚 10枚分
米1袋の値段 100枚 10枚
買える米 1袋 1袋

新しい銭10枚で同じ米1袋が買えたなら、銭の数え方は100枚から10枚分に変わっても、買える米の量は変わりません。逆に、新しい銭20枚でなければ米1袋を買えなくなったなら、買える米は半分に減っています。

100枚が10枚分になるという換算ルールだけでは、暮らしの上で得をしたのか損をしたのかまでは分かりません。実際に何がどれだけ買えたのかを知るには、米や布の値段も見る必要があります。

新しい銭は、小さく、質も落ちていった

換算ルールだけでなく、銭そのものも変わりました。材料の銅が不足し、銭は次第に小さく、軽くなっていきます。銅に代わって鉛を多く含むものも作られ、質が落ちていきました。

国は、新しい銭1枚を古い銭10枚分として扱うと決めました。ところが、その新しい銭は小さく、質も落ちていきました。貨幣博物館の図録には、こうした銭が人々に嫌われていったことが記されています。

ただし、当時の銭が、今の円のように日本中で一様に使われていたわけではありません。主に使われたのは都と、その周辺の地域です。地方では米や布も、すでに支払いに使われていました。国じゅうの人が一斉に銭をやめた、と考えると実態から離れてしまいます。

新しい銭の発行は、958年の乾元大宝(けんげんたいほ)を最後に途絶えます。この年を境に、すべての銭が一日で使えなくなったという意味ではありません。研究では、都で銭を使わせようとする動きが、その後も続いていたことが指摘されています。

国が決めたお金なら、使うしかないのでは?

国も、銭の使用をあきらめていたわけではありません。貨幣博物館の図録によると、987年には、人々に銭を使わせようとした記録があります。銭が広まるよう寺院に祈りを求めたことも記されています。

それでも銭を使う人は減り、11世紀から12世紀半ばには、米や絹、麻の布が銭に代わって使われました。これらは支払いに使われるだけでなく、物の値段を表すときにも使われました。

布は着るもの、米は食べるもの。そう考えると、お金とは別に見えますね。でも、布で値段を決め、布で支払っていたなら、その場では布がお金として使われていたことになります。金属の銭が使われなくなったからといって、「お金がなくなった」とは言えません。

米や布は、銭の代わりに突然使われ始めたわけではありません。もともと地域で使われていた米や布が、銭を使う人が減るにつれて、支払いに使われる場面を増やしていきました。

国は銭を作り、使わせようとしました。ですが、新しい銭は小さく、質も落ちていきました。しかも、人々には米や布という別の支払い方もありました。国が銭を作っただけでは、人々に使い続けてもらえなかったのです。

表の数字から、どこまで分かる?

最初の表に戻って、二つ確かめてみてください。

  1. 古い銭100枚は、新しい銭で何枚分と定められましたか。
  2. その換算ルールだけで、買える米の量も分かりますか。

一つ目は10枚分。二つ目は分かりません。銭をどう換算するかは表にありますが、最初の表には、米の値段が書かれていないからです。「100枚が10枚分になった」と聞いても、それだけで「買える物も10分の1になった」とは言えません。

今日の研究結果

古代の日本では、国が作った銭でも、使われ続けるとは限りませんでした。国は新しい銭1枚を古い銭10枚分として扱うと決めましたが、銭は小さく、質も落ちていきました。一方、人々には米や布という別の支払い方もありました。銭を使う人が減るにつれて、米や絹、布が支払いに使われ、値段を表すときにも使われました。国が銭を作っただけでは、人々に使い続けてもらえませんでした。

教授のコメント

ニュースで「お金の値打ちが下がった」と聞いたら、何が減ったのかを考えてみてください。何枚・何円と数え直したのか、それで買える量が減ったのか。古代の銭の換算ルールが決めたのは、数え方のほうでした。

出典

  • 日本銀行金融研究所貨幣博物館「日本貨幣史・古代」。銭を発行したのが唐の制度を取り入れた律令国家であること、和同開珎の発行年、新銭1枚=旧銭10枚の政策、銅不足と鉛の割合の増加、958年の乾元大宝、米・絹・麻布による支払いと値段の表示を確認。人々に嫌われた点は同館の図録に基づく。2026-09-29に本文確認
  • 日本銀行金融研究所貨幣博物館「常設展示図録・銭にかわる米と布」(18ページ)。都とその周辺での銭の使用、銭の小型化と質の低下、987年の使用強制と祈祷の記録を確認。『日本紀略』の原文は未確認で、図録の紹介による。2026-09-29に本文確認
  • 三上喜孝「日本古代貨幣流通史の研究」(東京大学博士論文データベース掲載の要旨)。地域で米や布が貨幣として使われていたこと、11世紀初頭まで銭を流通させようとする動きがあったこと、絹の生産・流通の広がりと価値基準としての役割を確認。論文全体ではなく要旨を参照。2026-09-29に本文確認
  • 日本銀行金融研究所貨幣博物館「お金の歴史に関するFAQ」。銭の円形と四角い穴、和同開珎より前に富本銭が作られていたことを確認。2026-09-29に本文確認

本文の制度の数値は 2026-09-29 に確かめたものです。改定されることがあるので、申込や手続きの前に公式の記載をご確認ください。

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